散骨と収骨拒否...
散骨と収骨拒否を考えます
ここでは、お骨を拾わない(収骨拒否)と散骨を考えたいと思います。
収骨拒否と散骨は意味合いが違いますが、お墓を持たないという考えに基づいてまとめてあります。
都市部で増えている収骨拒否
みなさん、ご存知でしたか?例えば、あなたが、ある方の喪主になって、葬儀・火葬をした。お骨って拾いますよね。
でも、これは強制・義務じゃないという事、知ってましたか。
火葬後、遺族から、「そちらで何とかして下さい」と遺骨受け取り拒否が増えているそうです。
遺体の処理を定めた「墓地埋葬法」では、遺体は荼毘に付さなければならないとあります。
(「荼毘に付す」の意味は死者を火葬にする事)
したがって、これが最低限の出費です。
京都の中央斎場の火葬費用が上がりました。
一人2万円と葬儀社に支払う費用です。
弔いは最低限、これだけは必要なのです。
じゃあ、拾った遺骨の処理はどうするのですか?
遺骨を拾うと、どこかの納骨施設に納めないとあきません
それがお墓であったり、樹木葬であったり、納骨堂であったりします
かかる費用は、数万円~数百万円です
お世話になっているお寺があって、無料で預かっていただけるところもあります
しかし、それは、今後の追善供養でお世話になります・・・という意味です
また、多数の宗教団体は、お骨を預けられる場所を持っています
いずれにせよ、いつかは遺骨を出す事が義務付けられています
・・・・遺骨を拾えば、お金はかかります
散骨はもはや海洋散骨のみ
散骨とは、収骨拒否とは違い、収骨は従来通り行います。そして、
埋葬せずに、遺骨をパウダー状にして、海に撒くことです。
1991年、法務省刑事局は「節度をもって葬送のひとつとして行なう限り問題はない」という見解を出してから、散骨専門の業者が急増しました。
散骨は、「普通の墓を作る場合より、圧倒的に安く上がる」と思われてきました。
しかし、散骨をする方法が様々で、外洋までクルーズするプランは、小さいお墓の費用と変わりません。
91年以降、散骨は、風で骨が舞う、地下水を汚染しかねない、あるいは近隣の農産物の風評被害を招くなどという理由で、遺族と散骨先の住民とのトラブルが頻発したそうです。そのため、2008年に「何人も墓地以外の場所で焼骨を散布してはならない」と条例で定めた埼玉・秩父市をはじめ、「散骨禁止・規制条例」を設ける自治体が急増しています。
だから、散骨は海洋散骨だけが残っています。
ちょっと前までは、散骨専用の墓地ができた事もありました。しかし、条例で規制されました。結局、現状では、陸上での散骨はないと考えられています。
やはり、人様の頭の上から、他人のお骨を撒くなんて行為は、供養とはかけ離れた行為です。だから、散骨できる場所は、もっとも川下の海洋しかないのです。
一度、こんな事がありました。奥琵琶湖に散骨業者ができました。その時の知事が嘉田知事だったのですが、激怒したそうです。当然です。琵琶湖は京都・大阪の方にとっては川上です。琵琶湖の水は、京都・大阪市民の飲み水なのですね。だから、散骨は川下の海洋です。
お父さんの本当に気持ち
よくお墓の相談の時に、「わしの遺骨は、どこかに撒いてもらったらええねん。」よく聞きます。でも、それって、ほとんど本心じゃないです。子供たちに高い墓を買わせて負担をかけたくないという親心です。
でも、今の散骨は海洋まで出ていきますので、結構、費用がかかります。
外洋まで出してくれる、散骨業者を探す事になります。散骨の現場(外海)まで同船して、自らの手で、海に撒くのは数十万円です。お寺の合祀墓なら、3万円からあります。でも、死んで、石の墓の下に入りたくない人もおられます。樹木葬なら大きな石は使いませんので、気持ちは楽です。、
でも、これも遺族があっての話です。お1人の方が、「わしのお骨は海にまいておいて・・・」と言われても、ごめんなさい。誰もしてくれません。事前に、業者を決めて、送ってくれる縁者様に、お金を渡して、託すしかありません。
フィリピン沖に戦友が寝ている
こんな話もありました。京都天が瀬メモリアル公園を見学に来られたお客様ですが、ご両親の遺骨を持っておられます。
各地のお墓を見学されているようです。
ご遺族様に聞いた話ですが、父親は戦争の体験者で、海軍に所属だったようです。フィリピン沖での決戦で、そのお父様は生き延びて、日本に帰還されたそうですが、「戦友がフィリピン沖に寝ている。自分の遺骨もそこに撒いてくれ」・・・が口癖だったようです。
ご遺族様も、お父様の気持ちを大事にしたいのは当然です。しかし、お母様のお墓にも一緒に入れてやりたい。そんな思いで、分骨されるそうです。
最近の傾向(樹木葬の相談の現場で)
最近は散骨にこだわる方も減ったように思います。
立派なお墓が葬送の主流だった時は、お墓なんか高くて、手が出ない、散骨で十分。そんな言葉をよく聞きました。一時は散骨が美化されて、一人歩きしていた感じがします。しかし、海洋散骨にシフトされてから、特定の業者に限られてきました。やはり、人様の遺骨を扱うのですから、きちっとしたところしか残っていません。
また、お客様の気持ちも変わってきたと思います。近年は、子供に負担のかからないお墓もふえました。近くて、比較的、安価なお墓もできてきました。やはり遺族にとって、手を合わせたいところは欲しいのです。樹木葬が、その気持ちを大事にしています。